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其の七:自転車部品のテクノロジー

スポーツ自転車というのはクルマやオートバイ等と違って、扱いの上手い下手が如実にその人の[走る姿]に表れてしまう様な気がする。どちらかというとスキーや乗馬に近いんじゃないだろうか。「人馬一体」という言葉があるが、本当に上手い乗り手はまさに自転車と一体になって見え、走りがとても落ち着いている。具体的に言えば常に同じリズムでペダルを回している感じ。平地であれ坂道であれ、平然と同じテンポで回している。その上なぜか結果的に速い。そんな事をアルプスの萩原さん(ジャズ好きの自転車屋さん)と話したら「それは変速の仕方が上手いんだよ」という。
萩原さんによれば、そもそも前後合わせて十何段もある自転車の変速ギアは、ただ単に速く走る為にあるのではなく、どんな傾斜でも一定の足の回転を保つ為の機能なのだという。事前に傾斜を予測して、前後のギアをこまめに調節しながら足は同じ回転で走るというのが理想らしい。
私などは、永年変速などお構いなしに走っていたわけで、いざギアをちゃんと使おうとするとこれが意外に難しかった。
バンド「ラブノーツ」のボーカルの井上真紀が、やっぱりイタリア製のコルナーゴというロードレーサー(かなりハデ)に乗っていて、彼女は乗馬の名選手だったこともあってか、実に綺麗に自転車に乗る。彼女のマシンには私の自転車のようなダウンチューブについたダブル・レバーではなく手元でカチカチと変速できる、ブレーキと一体型の最新のシフト・メカが付いている。
ちょっと試してみたけれど、ウーン。たしかにラク。ひじょーにラク。好奇心でちょっと中を開けてみたら、随分と複雑な構造になっている。自転車部品のテクノロジーも知らない内に進化したものだな…と感じた。

しかし、反面「これでいいのかな」という気持ちも少しある。なぜなら、私は、80年頃までの古いロードレーサーに付いている手作りっぽいパーツが感性的に好きなのだ。軽量の為に無数の穴が空けられたブレーキ・レバーやシンプルな構造のシフト・メカはどれも今の物より小ぶりで、むしろ最新の部品の「Designed by コンピュータ」的ニューテクノロジーとはまた違った美しさ(機能美というより工夫美と言うべきか?)を感じる。まあ、ここから先は好き好きの問題ではあるけれど…。ただ、自転車部品のテクノロジーの進化が人の手による工夫から、最近の大メーカーのクルマやオートバイのアイデアの転用に終始する風潮はあまりにも子供じみていて、正直なところ少し閉口してしまう。
たとえば昔の軽量ロード・レーサーは素材の「剛性確保」と「軽量化」という相反する要素でそれぞれの部分がぎりぎりの状態にあると言っても良い。いわば「思い切り」と「加減」の絶妙なバランスで組みあがっている。
例えば素人考えで、ネジなどはなるべくきつく締めたくなるが、力任せに締めればアルミのボルトが簡単にナメてしまったりする。その辺の扱いが実に微妙なのだ。

極端な言い方をすれば、少なくとも古いイタリアのロードレーサーとちゃんと付き合う為には、例えば「小さな生き物」を扱うような…そんな繊細な心遣いも必要になってくる。だから今、私はあえて古いタイプの「ダブル・レバー」でなんとか上手く変速できるように日夜練習をしている。即ちこれはアコースティックな道具を少しでも良く「知る」為のトレーニングだと思うのだ。

ダブルレバーのシフトメカ
〜 ダブルレバーのシフトメカ 〜

其の八:キヨ・ミヤザワとジャンニ・モッタ

事の始まりは、私のロードレーサー[MOTTA]のフロント・ディレイラーが壊れ、その純正部品を探しだす為にいろいろ調べてゆく内に、この1台の自転車にまつわる様々な人達や文献に出会ったことに始まる。

まず、壊れた部品に関してわかったことは、この部品がただでさえ貴重な古いカンパニョーロ社製のスーパー・レコードの中でも、初期のたった1年間だけしか製造されなかったという激レア・アイテム(死語だッ!)で「通」の間では俗称「四つ穴」と云われ、仮に所有しているマニアがいたとしても、手放すことはまずないだろうというシロモノだった。
しかし、そのスーレコ(という!)大探求の途で遭遇した、1983年製のカンパの創設者テュリオ・カンパニョーロ氏のサインの刻印が入った「50周年記念」パーツというヤツが雰囲気もバッチリで気に入ったので、今私のMOTTAにはそれが付いている。ま、いずれにせよ解ってきたのはこのロードレーサーを維持して行くのは金銭的にもそう簡単じゃないな、ということ…。優しく乗らなきゃ。

さて、このMOTTAのフレームは今から17年前(1981年)にある雑誌がイタリアン・ロードレーサーの特集を組んだ時にスペシャル・コルサとして誌上に発表する為に、イタリーの工房から直接持ち帰った物なのだが、その記事を読むと、どうやらこのフレームをフィニッシュしたのは当時ミラノの自転車工房で働いていた日本人らしい、ということがわかってきた。
その名はミヤザワ・キヨアキ。その記事によれば、ミヤザワ・キヨアキ氏は卒業後単身イタリアに渡り、ロッシンと言うメーカーで5年程自転車作りの修業を重ねた。そのデリケートな腕前はロッシン氏自らが折紙を付ける程だったと言う。その後モッタの工房に暫くいた、と書いてある。モッタというメーカーは1966年のジロ・ディ・イタリアの優勝者であるジャンニ・モッタが主宰していた工房で、現在はもう存在しない自転車メーカーだ。
その時に手掛けたのがこのフレームだったようで、記者も「キヨ・ミヤザワのフィニッシュにより、イタリアのセンスと日本人の繊細さが創り出した超一級品、神経のゆきとどいた見事なフレームになった」と評価している。

私はその事実を知った時、直観的にこの人物と会いたくなった。今、もし日本に帰ってきているのなら、是非直接会って17年ぶりにこのモッタと対面してもらい、自転車職人としての気持ちを聞いてみたいと思ったのだ。17年前の雑誌に写るミヤザワ氏は、まるで在りし日のブルース・リーの様で、鋭い眼差しでフレームに火を入れている姿がなんといってもカッコイイ。私は今まで、何度となく海外のトランペットの制作工房に行く機会があったが、欧米の手作り工房というものは、楽器にしても自転車にしても一見雑然としているように見えて、実は必ず自作の大切な「治具」というものがあって、それを中心とした独自の個性的で考えられたレイアウトがなされている。そんな風景の中にひとりの日本人が違和感なく馴染んでいることがとても新鮮に写った。

その後程なくして、どうやら彼が千葉方面で自分の自転車工房を持ち、キヨ・ミヤザワというブランドで手作りのロードレーサーを作っているらしい、という情報を得る事ができた。今度の休みの日にでも訊ねてみようかな…。

修行時代のキヨ・ミヤザワ氏
〜 これがイタリアで修行時代のキヨ・ミヤザワ氏 〜
PHOTO:[BRUTUS]1981年 11/15号より

其の九:キヨ・ミヤザワの自転車工房

渋谷から銀座、両国経由で小松川に出、国道14号でJR小岩駅のフラワー・ロードを目指す。新中川を越えて暫くゆくと、トリコローレに塗られた3台のロード・フレームを壁に掲げた煉瓦のビルが見えてきた。
ここがキヨ・ミヤザワ氏のお店である。明るくモダンなアーキテクチャー、自転車屋さんというよりむしろブティックといったカンジ…。
最近のMTBブームでまるでオモチャ屋のような自転車店が多い中、ここは、展示してある自転車がイタリアン・センス溢れるロードレーサーばかりで、実に大人のテイストに溢れている。

私がモッタを押して中に入って行くと、カウンターの向こうにはひとりのご老人。元ケイリンの選手だったというキヨさんのお父様だろうか…。
奥の工房に目をやり「今、清明は火を入れているんでネ(やっぱり、父上だ!)ちょっと待ってくださいね」と私の為にコーヒーを点ててくれる。
ガラス越しにバーナーの炎が動いている。暗くて良く見えないが、そこにはあの精悍なブルース・リーばりのキヨ・ミヤザワがいるのだ。うーん、ちょっと緊張。お父様が出してくださったコーヒーを味わいながら暫く沈黙。
すると「ガタン!」とドアが開き、緊張は極限に達した!!…目をやると暗がりから一人の大男がぬっと現れた。

と、その人はいきなり横からティッシュを取り「ぶイーーーッ」と鼻をかむと、こちらを向き、涙目でこう言った「あ、こんちわ。ミヤザワです」。
ありゃー、誰?このクマみたいなひと…。それまで私の中に流れていた「アチョー」という声とブルース・リーのテーマが、一転して「森のくまさん」にかわった。「いやー、ね、花粉症でさ、この季節は特にね…。」(良く見ると確かに鼻の辺りにブルース・リーの面影が…)。

私は暫くあっけにとられていたが、気をとり直し「あの、見てもらいたいものがあるんですけど…」と私の自転車を指差した。
「ほほう、ジャンニ・モッタね」ちょっと意味ありげに微笑んだ「くまおぢさん」はモッタに進み寄り、ひょいと持ち上げると、くるっとひっくり返したBBのラグをこちらに見せて、「あー俺んだ、俺んだ、このカット。ね、」と言った。「どうですか?」と私。「どうって、なにが?」「いや、懐かしいんじゃないかなと思って…」「…」。「それより、このステム、ちょっと入り過ぎてない?」

くまおぢさんは、17年ぶりに再会した自分の作品をしげしげと見つめるわけでもなく、壁に掛かったレンチを手に取るとステムの高さの調整を始めた。
なかなか抜けなかった古いチネリのステムがやっと抜き取られると、そこには17年分の茶色い錆がべっとりと付いている。白いタオルでそれを丁寧に拭き取り、グリスを塗って、また差し込む。ハンドルの高さまで身をかがめ、ステムを少しづつ降ろしてゆく。時間をかけ、微妙に左右にハンドルを振りながら降ろされてゆくステム…。
その動きがある位置でぴたりと止まった時、くまおぢさんの眼はあのブルース・リーの眼に戻っていた。

「チクリ・キヨミヤザワ」
〜 東京都江戸川区にある「チクリ・キヨミヤザワ」〜
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