「Jazz Love Notes II Pacific」 (再)
チェット・ベイカーに捧げる「Jazz-Love Notes」シリーズ
故チェット・ベイカーの生誕70周年を記念して、ゆかりのボーカル・ナンバーを3曲ほど演奏してチェットに捧げるビデオ・クリップでも撮ってみようか、というのが全ての始まりでした。それがTVの深夜で10分の番組として放映されることとなり、急遽計26曲のシリーズ番組「Jazz-Love Notes〜チェットに捧ぐ愛の音」が企画されました。このファースト・シリーズはミニ番組で深夜帯の放送であったにも関らず、井上真紀のボーカルとラブ・ノーツの演奏そして全編モノクロの世界観や独特の雰囲気が話題となり、ジャズ好きからジャズをあまり知らない人まで世代・性別を問わず大きな反響を呼びました。現在その映像は編集されてラブ・ノーツのDVD3部作「ALBUM」と「ALBUMU」「CHRISTMAS」でご覧になれます。
その好評に続くシリーズ第二弾として新たにBSハイビジョン番組用にロサンゼルスを舞台に制作された番組が「Jazz-Love NotesUPacific」です。
※チェット・ベイカー:アメリカのトランペット奏者/ジャズ・シンガー。1929年12月23日オクラホマ州エール生まれ。1988年5月13日アムステルダムのホテルで謎の転落死を遂げた。ウエスト・コースト・ジャズを代表するプレイヤーであり、甘いマスクとクールなサウンドで人気を博した。華やかな活躍の一方麻薬に溺れ、1960年以降はヨーロッパを拠点に放浪の生涯を送った。その破滅的ともいえる壮絶な人生を追ったドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」(ブルース・ウェバー作品)はアカデミー賞にノミネートされ、その後NYで出版された長編の伝記「終わりなき闇〜Deep in a Dream」も2006年邦訳・出版された。
本番組の総合監督・企画プロデューサーであるヒロ川島は生前のチェットと交流を持ち、チェットの没年の翌'89年にチェット自身が最晩年に構想していたバンド名「Love Notes」を引き継いで自己のユニット「ラブ・ノーツ」を結成した。
HD撮影とロサンゼルス・ロケ
「Jazz-Love NotesUPacific」は、前シリーズの続編という以上に、撮影が全てHD(ハイビジョン)カメラで行われているところに大きな特徴があります。ハイビジョンというと、色彩が鮮明で詳細に写るというような事ばかりがクローズUPされますが、HD特有の解像度の高さから得られる画像の奥深さや独特の立体感を活かし、1stシリーズで実践したモノクロをメインにカラーを混在させたいわゆるパート・カラーの手法は変えずに、ロケ地は50年代のアメリカ西海岸の光や空気感を求めて、チェットがそのキャリアを花咲かせたロサンゼルスで撮影することにしました。カリフォルニア特有の明るく開放的でしかしどこか退廃的で刹那なムード。当時のサウンドが放っていたロマンチシズム、それを我々ラブ・ノーツなりに解釈し、サウンド的にも、ジャズの技巧的でアクロバティックな側面よりカジュアルでロマンチックなサウンドを重視しています。通常ジャズの中心地といえばニューヨークというイメージがあるかもしれませんが、あえてLAにこの番組の舞台を構えたのは、勿論西海岸で活躍した「チェット・ベイカーに捧げる〜」という基本理念に加えて、むしろ人種や肌の色とかではなくその土地の空や海の色とか、風の香りから自然に生まれてきたロマンチックでカラッと乾いたジャズ・サウンドを我々が表現したかったからです。
同様に当時のLAのバンド・スタンドをイメージにシンプルにセットされた収録スペースには録音用の仕切り板などは入れず、マイク・セッティングも最小限にしています。そんなリラックスした雰囲気の中で、ラブ・ノーツの気心知れたメンバーがお互いを刺激し合い、まさにスポンテニアスなサウンドが紡ぎ出される瞬間瞬間がHDカメラを通して収録されてゆくのはスタッフ全員にとって至福の瞬間です。実際、演奏シーンはほとんどがワンテイクで完了しました。
井上真紀のトーク・セッション
もう一つの見どころともいえるトーク・セッションは、LA在住の映画監督デボラ・デスノー氏をベル・エアのホテルのプールサイドに招いてボーカルの井上真紀との「女同士」のたわいない「ガール・トーク」をしてもらいました。特に台本も無く、毎回歌われる歌詞に出てくるキーワードなどをテーマに話し始めてもらうのですが、彼女達はジャンルこそ違えお互いにクリエイティブな仕事をしているので、話題はいつも興味深く尽きる事がありません。「恋」の話から「クリエイティブって何?」そして「美の本質」に至るまで、英語だからこそストレートに語り合うふたりの姿は、多くの人達の共鳴を呼ぶはずです。
伝説のピアニスト、フランク・ストラゼッリの出演
そして今回のシリーズで特に嬉しかったのは、50年代からチェット・ベイカーの相棒でもあったベテラン・ピアニスト、フランク・ストラゼッリが、この番組の趣旨に共鳴してくれて、同じくLA在住のベーシスト、クリス・コランジェロを連れて、エピソード#8で一緒に演奏してくれたことです。フランクは演奏だけでなく、写真家ブルース・ウェバーが撮ったチェット・ベイカーの映画 「Let's Get Lost」 に出演したときの秘話(?)も披露してくれました。実は我々はチェットがその映画 「Let's Get Lost」 のサントラ・アルバムで歌った 「Moon and Sand」 という曲が大好きで、今回の番組のオープニング・テーマ曲も我々ラブ・ノーツがカバーした同曲 「Moon and Sand」(※)を使っていて、この曲、あまり一般には知られていませんが、私にとってはこの曲のイメージがそのままこの番組のムード、といっても過言ではないくらい思い入れのある曲だったのです。それが今回のインタビューで、実はこの曲をあの時チェットに歌わせたのは他でもないフランク・ストラゼッリ本人だった、という事実が明かされます。…これは収録時に彼が自発的に話し始めて偶然解った事であり、我々にとっては実に嬉しくも衝撃的な瞬間が番組に収録される事になったのです。
※これまでお問合せも多かったので、ここに番組オープニングとエンド・ロールの使用楽曲を記しておきます。
Opening: [ Moon and Sand ] Performed by Love Notes
CD 「Quiet Night with Love Notes」 に収録
Staff Roll: [ Night Lights ] Performed by Hiro Kawashima & Herb Ohta(Ukulele)
CD 「WAVE Hiro Kawashima & Ohta-san」 に収録
さて、この番組を制作することにおいて尽力して頂いた方々に改めて感謝の意を表したいと思います。ファースト・バージョンから挙げればきりが無いので、今回は主にセカンド・バージョンで一緒に仕事をしていただいた方を中心に。
編集に携わってくれたコスモスペースのディレクター荒井氏とプロデューサー田上氏、そして全ての編集スタッフ。細かい要求に文句も言わず、徹底して美しい映像を撮って頂いた市川氏・中野氏・高橋氏・平野氏をはじめとするキャメラ陣とビデオ・クルーの皆さん。照明、音響、録音、MAスタッフ、メークの諸氏、そしてLA現地で働いてくれたCSAの松本氏と荒井氏他スタッフの皆さん、デボラさん、フルートの谷さん。 Mix のウネハラ氏。またスタジオを提供して頂いた横田氏。そして何より、その猛烈なジャズに対するエンスージアズムで、この困難な企画を実現して頂いた青木秀臣氏、更に、シリーズ放映に際しご尽力いただいた、稲垣利照氏の両エグゼキュティブ・プロデューサーに心から感謝の意を表します。本当にありがとうございました。
追記:プロデューサーのひとり言… “Jazz-Love Notes” の本当の意味
この番組シリーズをどのように楽しむか?もちろんそれは皆様の自由です。ただ、せっかくここまでお読み頂いたのだから、私としてはあえて企画側の製作意図をはっきりと伝えたいと思う。
前述のとおり、“Jazz-Love Notes” は、それが「TV番組」になるという命を受ける以前から、100%プレイヤーの発想から企画した作品である。それはJazzの歌や演奏シーンを見せて、テレビでジャズ・ライブを楽しんでもらう事だけが主目的の番組ではない。ましてや特定の世代のジャズ・ファンのリクエストに応えたり、日本で名の通ったスター(?)プレイヤーを日替わりで招いてセッションをさせるようなエンターテインメント番組ではない。もしそれを求められたのなら、スタープレイヤーが一同に会するジャズ・フェスティバル的企画をそのまま番組に仕立て上げればよいことだ。私が企画する番組は、むしろジャズの楽曲を情報源とした「映像ドキュメンタリー作品」と認識している。即ち真の主役は毎回変わるスタンダードの「名曲」であって、演奏するボーカリストやプレイヤーはこの番組においてはパフォーマーである以上にナビゲーターである。独特といわれる番組全体のムードも、また、何度観てもその度に新しい発見があるのは、その1曲には例えば映画1本に匹敵するようなストーリーや心の動きが歌われていて、これらの楽曲の美を素材に番組を制作しようとすれば、あらゆる演出要素もトークの話題も必然的に構築され、各エピソードに込められる情報量も充分なものになるからなのだ。
あえて失礼な物言いをお許し頂ければ… デジタルの黒魔術に呪縛され、浅知恵に呆けた輩がひしめく現代の日本の社会においては、ジャズのような粋で奥の深い音楽はとかく鬱陶しがられる傾向にある。しかし、かつて人々が理想に向かって歩み始め、希望に満ちていたあの時代のアメリカが産んだジャズという音楽は、人種・世代・国境を超えたコスモポリタニズム、修練と美的表現の本来の在り方、普遍的なロマンチシズム、叙情性、品格等など、今、現代人が過去に置き忘れてしまった大切な要素を有している。
戦後、ジャズという音楽が日本に紹介されて以来、アナログ・オーディオの前で巨大なスピーカーのコーン紙の向こう側にあるジャズの世界を「眼を閉じて」イメージしてきた世代(私も含めて)は、世界でも最も優秀なジャズ・リスナーかも知れない。しかし、ここで言うジャズとはあくまで楽器演奏がメインの、いわゆるモダンジャズの話。もう一つの大きなエレメントであるボーカル・ジャズとなると少し状況が違ってくる。モダンジャズの歴史や知識、スタンダードのメロディは知っていても、その歌詞に何が歌われているのかという事になると途端に英語が障害になり、ちゃんと理解していない人が少なくない。もし、その障害が少しでも軽減されれば、もっとスタンダード・ジャズの本質に近づける筈なのに… と常々考えていた。そして今、多岐に渡るメディア・テクノロジーの進化と、あまりにもリアリティ追求に偏った映像メディアが浸透したことで、期せずして「モノクロ映像」という手法は、映像を観ながら「眼を閉じる」ような、いわばスチル写真にも似たイメージを広げる効果があり、更に、日本人は洋画の文化からスーパーインポーズに慣れ親しみ、画面を観ながら訳詞を自然に重ね合わせることができる。もし、そんな効果を備えた魅力的なジャズのコンテンツがあれば、我々日本人がスタンダード・ソングの楽曲の本当の魅力を再発見することに繋がるかもしれないと考えたのだ。
当然のことながらこの番組で最も重責を負うナビゲーターはボーカリストだ。ボーカリストはいわゆる器楽奏者と違い、いつでもリスナーに向かって語りかけるまさに「道先案内人」である。ラブ・ノーツの井上真紀は、美しい英語を自由にあやつり、独自のスタイルで名曲の持つ「美」を伝えることの出来る数少ない日本人ジャズ・ボーカリストである。この番組の中でも持ち前の表現力でスタンダード・ジャズをしなやかに歌い上げ、この番組のナビゲーションという重大な役割を果たしている。
更に彼女は当番組の柱ともいえる英語の邦訳をトークから歌詞まで全て自分一人で作業している。このようなシームレスな仕事が番組をとおして企画意図を貫く大きな要素になっている。ところで、彼女は自分からはあまり吹聴しないが、伝説的クール派ボーカリスト、クリス・コナーと永きにわたる師弟&友交関係をもち、かつてジョージ・ベンソンをして「世界中探しても、井上真紀のような美しい英語で歌う人を私は他に知らない」と言わしめた、ジャズの巨人達がその実力を一様に認めるボーカリストなのだ。例えば、今回のシリーズでも、エピソード#8の 「Angel Eyes」 における巨匠フランク・ストラゼッリのピアノに対する彼女の柔軟で絶妙なボーカルのインタープレイなどを聞けば、誰でもその卓越した技量の一端を垣間見ることだろう。少し蛇足になるが、井上真紀の歌を聴くと、ジャズ・ボーカルのテクニックとはそもそも一体何なのか、という事をつくづく考えさせられる。英語の基本的な発音もままならない人が黒人独特の歌唱を真似てがなり立てるのをジャズっぽいと評してみたり、いわゆる「泣き」の多い歌いまわしを多用するのがプロのテクニックだ、などと評価する何ともウラ恥ずかしい宣伝が日本には多すぎる。ジャズ・ボーカリストが美しく表現すべき独自の「ブルース・フィーリング」と「妙な歌いまわしの癖」を混同しちゃいけない。井上真紀こそは、ジャズ・スピリットと本来のテクニックを併せ持った、これからがますます楽しみな本物のジャズ・ボーカリストだ。
そして同様に不可欠なのが楽器演奏をするジャズ・プレイヤーの資質だ。この企画の中では、演奏者はジャズ・パフォーマーとしてのテクニックの披露よりも、むしろスタンダード・ソングの美に対するレスペクトをボーカルと同じレベルのリリシズムで表現することが求められる。容易に聴衆の気をひくだけのアプローチや、子供っぽい派手な技を売り物にする "自称アーチスト" とは対極にあるユニット、ラブ・ノーツのプレイヤー陣なればこそ、各々の個性やプレゼンスを失わずにこの役を全うしてくれたと自負している。
さて、そろそろ結論に入りたい。 “Jazz-Love Notes” の究極の目的は、亡きチェット・ベイカーが彼のトランペットと歌を通して我々に示してくれたスタンダードの本質を、井上真紀を擁するラブ・ノーツがナビゲーターとなり、サウンドとトークを通して解き明かしてゆくこと。そこに解き明かされる本質=答えはここにはあえて書かない。この解説を最後まで読んで頂いた方々であれば、既にその答えをお持ちか、もしくは遠からずその「本質を知る喜び」を体験されることだろう。前述したように、この番組がジャズ演奏を鑑賞する事だけが目的の音楽番組であれば、演出も構成も全く違ったものになっていたであろうし、プレイヤーもラブ・ノーツでなければならない理由は無い。更に、私がわざわざ演奏と製作を兼ねてこの番組をプロデュースする必要もない。第一もしそうならば、皆さんが今お読みのような解説などはそもそも不要なのだ。
チェットが最晩年に、こんな言葉を遺している。
「この先もジャズが死に絶えるとは思わないな… 。これは自分自身を表現するのにいいやり方だからね。ジャズに支えられて僕は40年トランペットを吹いてきたんだよ」
総合監督・企画プロデューサー Hiro川島