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Hiro川島インタビュー
Hiro川島 インタビュー

このインタビューは、エイムック 『jazz days』No.2 「My Chet Baker」 に掲載されたものです。


 ヒロ川島さんは晩年のチェットと交流があり、愛用のトランペットを譲り受けた。そして彼が亡くなった翌年に「その音楽精神を引き継ぐ」という精神でユニット「ラブ・ノーツ」を結成した。

 「Love Notes(愛の音符たち)というのは実は、チェット自身が最晩年に自分の新しいバンドにつけようとしていたバンド名なのです。生前に聞かされて『良い名前だな』と思っていたので、新しいバンドを作ると決めた時にチェットの友人やマネージャーに相談したら、『ヒロ、それは是非君がやるべきだ』と励ましてくれたんです。
  チェットは亡くなる直前に私に楽器をプレゼントしてくれましたが、そこには、私に対する2つのメッセージ、というか意味合いがあったと思っています。ひとつは、単純に『ラッパをやめるな』ということ。もうひとつは、音楽を通して『自分のスタイルを見つけろ』という事です。当時29歳だった私とチェットの出逢い、2年間の音楽的な交流、セッション、そしてチェットの死。形見となった楽器。それらの要素が重なり合い、ある意味でその後の自分の『音楽と人生』にモチベーションを与えられたのは事実です」

 ラブ・ノーツのリーダーと同時にプロデューサーとして、具体的にチェットから受けている影響というものがあるのだろうか。

 「もちろんです。私がラブ・ノーツで継承しようと思うチェットの音楽精神とは、彼のレパートリーばかりを演奏することではなくて、『ジャンルやスタイル、既存の型などに拘らずに、自分達の中に鳴っている“音”をいかに素直に表現できるか』ということなんです。例えばチェットの歌唱法はいわゆる熱唱タイプのジャズとは違うかもしれませんが、ボサノバの基礎となったともいわれるほど魅力的な、立派なジャズ・ボーカルですよね。あれはチェットが既存のジャズ・イメージというものを超えて、ただ素直に歌った結果なのです。素直に表現されたものはインテンシティ(緊張感と集中力)に満ちています。それがポイントなんです。じゃ、われわれのユニットにとってそれが何なのか、それこそがテーマです。
  あともう一つ 『諦めないこと』 ですね。チェットは自分の歯を全部抜かれてもラッパをやめなかった。むしろ、その後により魅力的な音を自分でみつけたのです。
僕は歯を抜かれるのはごめんですが、それは凄いことだと思うのです。」


Hiro川島 : ユニット「ラブ・ノーツ」リーダー/トランペッター。1986年にチェット・ベイカーと出逢い、ジャズを通して交流を持ち、友情の証としてチェット自身が長年使用していた愛器のトランペットを譲り受ける。その直後、チェットが客死した翌年に、ボーカルの井上真紀とユニット「ラブ・ノーツ」を結成。同バンドのCD、TV番組『Jazz-Love Notes』やDVD3部作のプロデュースなども手掛け、独自のセンスで作品を創り続けている。

[ 2002年 エイムック『jazz days』No.2 掲載 ]